人というのは【物の理(ことわり)】を知るのがとても大好きですよね。

僕も以前は自動車が大好きで(元整備士ですからw)

よく自動車やエンジンの始まりを学ぶのが好きでした。

誰が何のために自動車を作ったのか?

一番初めの量産型の自動車は何か?

日本初の〇〇はどのメーカーか?

物事の始まりをしっかり学ぶことって

日本の歴史の教育の仕方と非常に似てますよね。

古代から始まり現代に続く

【時系列】での教育のおかげで

学年末が近づくと近代史が端折られて

授業時間が受験勉強に向けられていく。。。

結果、学校教育で縄文時代に関しては

しっかりとロマンと知識を伝えることが出来ているのに

自分に直接続く【近代史】に関しては・・・。

MASA的には本来はそこ(近代史)が重要と思うんですけどね。

とは言いましたが、

やっぱり【理】を知りたいのは人の常。

という訳で

今回は燻製の古代史?と言うか

MASAが考える【燻製の古代】を

お話したいなぁと思います。

正直【妄想半分情報半分】なので

いわいる

「ホンマでっか?」風に

「諸説あり!」的に

気楽に感じてもらえればありがたいです。

燻製の始まりはやはり古代です。

ジャングルで暮らす身体の小さな種族

「ピグミー族」のような古代から続く種族の食生活に

当てはめて【燻製】を考えるのが無難と言われています。

ジャングルの中で行動する彼らは

平野や草原などで暮らす他の部族に比べて

非常に身体が小さく

木々の間や背の低い樹木の下をすり抜ける事に向いています。

彼らは基本的には狩猟民族で

キャラバン隊を形成することもあったと言われ

獲物を仕留めるために

集落から離れて何日もキャンプすることも多かったのです。

遠く離れた狩猟場所で捕獲した大きな獲物を

小さい体ゆえ、そのまま集落には運べす

その場で解体して運ぶ最中

キャンプを繰り返し、仕留めた獲物を食べながら集落に戻ると考えると

初めは生で食した可能性もあるのですが

夜には他の獣に襲われないように焚き火をして

その火で焼いたと考えられています。想像して下さい。

大きな獲物を仕留めて捌いて焼いて食べる。

翌日移動してまた残りの肉も焼いて食べる・・・

そんな中焼いた肉が食べきれず

焚き火の側で残り火に炙られ

消えて行く焚き火の煙に燻され・・・

それを翌朝食べると

ん?あれ???これ食べやすくない???

ってか旨いってコレ!みたいな事になって

故意にこの行動を繰り返すようになったのでは?と妄想できます。

焚き火が消えそうになり煙が出る

燻される

余計な水分と油が木灰の上に落ちる

木灰では石鹸が

その上では燻製が出来上がるという

なんと一石二鳥の偶然が起こるのです。

ひとまず石鹸の話はおいといて

偶然仕上がった燻製を持って集落に到着。

もちろん、途中食べながら帰還したのだから

仕留めた時よりも少なくなり

煙をかけて水分や油脂分を落としているのだから

小さくもなっている。

しかし、【なぜか腐敗すること無く集落まで肉を運ぶことが出来た!】←ここが重要です。

ここまで来るためには

いくつかの偶然が重ならなければ

燻製はできていなかったのです。

①小さな民族であること(大きな物を運べない)

②狩猟民族であること(動物性の肉が必要・・・石鹸のような物質とともに焼いた肉が発見されている)

③遠く離れた場所に狩猟場所があること(運ぶために日数を要すること)

④火を扱うことが出来た時代であること(火がないところに煙は立たない)

⑤生肉が腐敗して痛い目にあっていること(痛い目に遭うからこそ進歩するw)

 

そんな偶然が重なって最終的に

『これって焼いたりしたりして

燻されたりなんかして持ってきたほうが長持ちすんじゃね?』って事になって

ここでやっと『燻製⇒腐敗しづらい』という感覚を身につけるのです。

なので『燻製⇒長持ち』と言うのは

現代人が燻製を売るのに都合よく表しただけで

『燻製』が先ではなく

あくまでも偶然の過程を過ごすうちに

長持ちした食材の中で煙をかけたものがあって

その中でも美味しく食べられたものが

燻製の中の極一部ということになるのです。

食べ物を長持ちさせるために燻製を作ろうとして

古代の人間が考えだしたのではなく

腐敗しなかった食べ物が偶然煙を書けた食材の中の一部だったという考え方が

古代の燻製の始まりということになるのです。

というお話でした♪

ご理解いただけましたでしょうかね?

マンモスを獲りに行って〜スモーク作って〜〜〜♪

水分も油脂分も落ちて少し軽くなりますよ☆残っているのは旨味!